イトーキが2022年3月に公表した「スマート・キャンパス・ソリューション」は、次世代のラーニング・スタイルと、その実現に求められる学びの空間やデジタル環境を構想する共同研究プロジェクトの成果を広く社会に提案するものだ。ここに示される学びの目標は「ウェルビーイングの実現」と「学習者主体の学び」、そしてこれからの「社会をつくるための人間力・変革力の研鑽」であり、これらは、OECDによる学びのコンセプトである「Education2030」と通底している。
本インタビューでは、共同研究プロジェクトのメンバーを代表して、イトーキ DX推進本部デジタルソリューション企画統括部デジタル技術研究所の福島浩介が、研究パートナーとして参画した国際大学GLOCOMの豊福晋平主幹研究員と共にプロジェクトを振り返りながら、教育DXの目的となる次世代の学びと現状課題について訊いた。
- インタビューは2022年3月、オンライン形式で実施されました。
Education2030とスマート・キャンパス・ソリューション
福島:スマート・キャンパス・ソリューションは次世代の学びの構想から求められるデジタル環境を提案するものです。その構想は、「多様自律化」「個別最適化」「学際協働化」の3つを大きな柱としつつ、学習者主体のラーニング・スタイルを「創造プロセス」として整理するというアプローチをとりました。大学を対象として、講義室や図書館といったインプットのための空間から出発して、人々とコミュニケーションを重ねながら自らの問いやアイディアを発想し、実際に形にして実装、公表していく。そうした創造プロセスを支援する空間やデジタル環境の重要性への理解を促すためにケンチクイラストレーターとして活動するイスナデザインをパートナーに迎え、イラストを制作しました。イラストは大学キャンパスを想定していますが、その背景と基盤としたのが、OECDによるEducation2030のコンセプトと、それに紐づく形で日本の学習指導要領の改訂ポイントへの理解です。ですから、ここで表現されている学びの構想は小学生からリカレント教育まで幅広く適用できるものと考えています。
豊福:今回のプロジェクトで最も意識した、世界的な学びの変化とは「学習者中心」へのシフトです。「いかに教えるか」から、「いかに学ぶか」への方針の転換は、文科省の学習指導要領の改訂版でも明言されています。
この流れは、従来型の19世紀的な工業社会の教育制度を、現代の情報(デジタル)社会にあわせてしっかり見直さないと、公教育の役割自体が果たせなくなるという危惧から生まれたものです。19世紀の教育制度は、国家の近代化のために、教育にも産業的な要素を入れてカリキュラムを標準化するものだった。つまり、工場の生産ラインを作ったり、工業製品の規格を作ったりするのと同じことを教育に対しても行って、均一な教育サービスを提供しようという発想です。当時は、メディアも不十分で、教える人も少なかったし、学校に来ないと学校の知識は得られないという大問題があったわけです。
しかし、現代の情報社会では、身の回りに学べるリソースがたくさんあり、意欲さえあれば、学校に行かなくても学習機会を得ることができる。そこで、現代の教育の課題は、もともとの生い立ちや経験がみんな違う子どもたちに対しても、ひとりひとりに合った学び方とウェルビーイングを実現するために、個別最適な学びを進めよう、というロジックです。さらに、その個別最適を実現するのも、デジタル・テクノロジーです。
教育DXがもたらす学習者のエンパワメント
福島:個別最適だけでなく、今回のスマート・キャンパス・ソリューションでは、学びのプロセスのあらゆるシーンをサポートするデジタル環境が描かれました。
豊福:教育DXが求められる昨今ですが、僕は大学教育の中でデジタル化によって増幅する学びのエクスペリエンスをきちんと同定することが、とても重要だと考えています。まず、学習者はデジタル・デバイスを使うことで圧倒的なインプットの情報量を得ることができる。情報効率がある一定線を越えると学びの質的な変化が起こります。また、学びの創造プロセスの対象となる、例えば映像であったり、なんらかのプログラムであったりをつくるうえでもデバイスやソフトウェアを使うことになる。そして、これらのインプット、アウトプットのデータ量が大きくても、クラウドに置いて、自由に取り出せることは学びの効率性を飛躍的に向上させる点で大きなメリットでしょう。
さらに、ネットを使い、GitHubなどからオープンソースのコードを用いて、好きなようにプログラムを書き換えたり、その成果を開発コミュニティと共有しながらプロジェクトを進めていくなど、大学の外ともコミュニケーションしながら、協働できるものすごくパワフルな環境がすぐ手に届くところにある。このようなデジタル・テクノロジーがもたらす学習者のエンパワメントについて、もっと統合的に評価していくべきだと思います。
教育データ活用も学習者中心であるべき
福島:デジタル技術を活用した学習者のエンパワメントを考えるとき、必然的に学習者のデータ収集・活用に考えが及びます。何か実現したいことがあり、そのための手段としてデータを取るという順番です。では、そこから学生にもたらされるメリットは何であるのか。そのサービスデザインに向けた研究を進めています。しかし、現在はまだ個人データの収集・活用について、丁寧かつ社会的な議論が必要な段階にあると考えています。
豊福:基本的にデータは本人のものだ、ということは絶対に踏み外してはいけないですよね。そして、本人のストーリーがあるかどうかが判断基準になると僕は思います。例えば、僕がスマート・ウオッチをつけている理由は、走ったときに記録を残したいからです。データが精緻に残っていれば、ここは途中でペースが落ちているなとか、ずっとコンスタントにイーブンで走れているな、と分かる。さらに過去からの記録を取っておいて、3年前から見ると平均のペースが30秒ぐらい上がったなとか、そういうことを自分の成長がきちんと見えることはとても大きいですよね。これは本人が納得しているからこそ、データがメリットになるわけです。
でも、学習の履歴というのは、本人の意識に関わらず、教育の提供者側に取られてしまう、という話にもなる。その取得したデータから見えたことが、きちんと本人に還元されているのか、腹落ちするような説明も必要ですし、さらには学習者みずからが取得されたデータの分析ができるというところまでをセットにすべきだと思います。
もう一つ、ポートフォリオという考え方があります。福島さんはご存じだと思いますが、デザイン系の学生さんは自分がやった習作を全部画板に入れて持っていって、僕のやった作品ですと言って、見せるものがポートフォリオの本来の意味ですよね。その発想に立ちデータを活用するなら、自分の習作は山のようにあるけれども、「いや、これはできが悪いから外しておこう」とか、「これは自分の取って置きだから入れておこう」とか、要するに自分がやってきたものを自分で「編集」してから、他の人にお披露目できるよう認めることは重要です。そうしないと、みんな辛くなります。過去の失敗をいつまでも引きずらなければいけなくなりますから。
また、学習者が生成したデータをそのまま吸い上げて、ためておくというイメージだと、まだ足りない。スマート・キャンパス・ソリューションでは、創造プロセスにおいて、教員や研究室のメンバー、あるいは課題の当事者や共創パートナーなど、自分以外の人とどうインタラクションしながらアイディアを実現するかについても詳細に設計しましたよね。こうした人々とのインタラクションの軌跡も、学習データのひとつになる。それは、実はリアルを反映した社会そのものだったりするわけです。このように考えていくと、データの扱いに関する議論はもっと多様で多層の話になってくると思います。
次世代の学びを駆動させるデジタル・シティズンシップ教育
豊福:最後に付け加えると、Education2030では、育成すべきコアな基盤としてデータリテラシーや、社会情動的スキルを挙げています。つまり、デジタルを含めたメディアバランスをどう図り、健康の基盤をどう支えるのか、またデジタルを介したコミュニケーションや対人関係を構築するスキルの育成も課題になっているということです。
そして、国内の初等・中等教育では、GIGAスクール構想による一人一台のデジタル・デバイス利用の実現をきっかけに、これまで抑止に走りがちだったデジタル・デバイスが、子どもたちが知識を構築し、創造活動を行うために必須のツールとなるなかで、教員や保護者がその対応に戸惑いを隠せない状況になっています。
こうした状況を受け、いま、研究グループを立ち上げて「デジタル・シティズンシップ教育」と呼ばれる新たなテーマの研究・実践活動を進めています。経済産業省の未来の教室でも動画教材を公開しています。我々が定義する「デジタル・シティズンシップ教育」とは、「学習者が自ら学び、創造し、社会参加するために責任を持ってテクノロジーを使い行動規範のこと」です。これは、まさに、スマート・キャンパス・ソリューションに描かれた学びの構想にリンクする考え方となっています。
福島:「責任をも持ってテクノロジーを使う」という言葉が印象的です。教育、つまり教え育てるということから、学びそのものにフォーカスしている感じがあって、すごく大きい転換がはかられているのだと思いました。ここにも、学習者中心の学びへのシフトを見て取ることができます。今後のご研究成果にも期待しています。本日は、ありがとうございました。
- 豊福 晋平
- 国際大学GLOCOM 主幹研究員/准教授
1967年北海道生まれ。横浜国立大学大学院教育学研究科修了、東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程中退、1995年より国際大学GLOCOMに勤務、専門は学校教育心理学・教育工学・学校経営。長年にわたり教育と情報化のテーマに取り組む。主なプロジェクトとして、全日本小学校ホームページ大賞(J-KIDS大賞)企画運営(2003~2013)、文部科学省・学校の第三者評価の評価手法等に関する調査研究「学校からの情報提供の充実等に関する調査研究」(2008)、文部科学省・緊急スクールカウンセラー等派遣事業・東日本大震災被災地のための学校広報支援「ともしびプロジェクト」(2011~)など。株式会社イトーキとの「未来の『学びの場』」共同研究プロジェクトでは、コンセプト立案支援に携わる。責任編集を務めた『智場#124特集号 2030年代のデジタル学習論-教育DXの構想と実践』は2022年1月に刊行。