1981年にイトーキが世に出したワークチェア「vertebra(バーテブラ)」。ラテン語で「脊椎」の名を持つこの椅子は、当時ビニール張りが主流だった日本のオフィスチェアに、快適性とデザイン性という新しい価値観をもたらした。
2019年、ワークスタイルの多様化に合わせてリデザインされたのが「vertebra03(バーテブラゼロサン)」だ。グッドデザイン賞審査委員長を務めたプロダクトデザイナー、柴田文江さんと共に開発したその過程を、本人とプロジェクトメンバーで振り返った。
- ※掲載されている情報は、取材当時のものです
柴田 文江
デザインスタジオエス プロダクトデザイナー
エレクトロニクス商品から日用雑貨、医療機器、ホテルのトータルディレクションなど、国内外のメーカーとのプロジェクトを進行中。iF金賞(ドイツ)、red dot design award、毎日デザイン賞、Gマーク金賞、アジアデザイン賞大賞・文化特別賞・金賞などの受賞歴がある。武蔵野美術大学教授、2018-2019年度グッドデザイン賞審査委員長を務める。
田中 啓介
イトーキ プロダクトマネジメント部 企画担当
大学ではプロダクトデザインを専攻。1998年イトーキ入社後、空間デザイン部門を経て商品開発部門へ。
商品企画、プロダクトデザイン室にてソフトシーティングなどを中心としたデザインを担当。
現在はチェアを中心とした商品企画に取り組んでいる。
橋本 実
イトーキ 商品統括部設計担当
機械工学科卒。「カタチの残るものをつくりたい」と、2001年イトーキへ。
入社以来、チェア開発一筋。『フリップフラップチェア』開発には企画担当として参加、『セクアチェア』開発には設計として参加した。
現代の働き方をふまえたオフィスチェアって?
ラテン語で「脊椎」を意味する「vertebra(バーテブラ)」が生まれたのは1980年代、オフィスにパソコンが登場した時代でした。人間工学と生体力学に基づいた設計で、背もたれが柔軟に脊椎をサポートし、座面には前傾機能を装備するなど、快適性が重視されました。約40年経った今、製品はなぜ、どのように生まれ変わったのでしょうか。
田中
初代vertebraは、オフィスにパソコンが登場し始めた時代に開発され、パソコンの前で働くという新しいワークスタイルに合わせて開発されました。でも今は働き方も変わり、自席にずっと座るのではなく、むしろ動き続けている。ならばワークチェアも変わるべきと考えたのが、今回のリデザインのきっかけです。柴田さんにお願いするのは初めてでしたが、vertebraの“ストーリー”を客観的な立場から語っていただけると思い、ご相談しました。
柴田
イトーキさんはオフィス家具のパイオニアであり、vertebraは40年近く愛され続けてきた製品です。単に形状やイメージを踏襲するのではなく、まずはその本質を見つけることが重要だと考えました。
今はフリーアドレスも普及し、仕事中もノートPCを持って動く人が多いですよね。座っているときは着座姿勢をサポートしつつも、以前よりリズミカルに使える方がいいと思いました。また、開かれたオフィスに並んでいても圧迫感がないように背は高すぎない方がいいな、とか、一方でひじかけは適度な高さがあってパーソナルスペースを確保した方がいいな、などと考えていきました。初代は背もたれと座面が離れていて軽快な印象でしたが、今回もそれは造形の要素として引き継ぎました。
‟私は助っ人外国人” ワンチームだけどいい距離感があった
田中
今回のコラボは一方で「カジュアルな雰囲気のオフィスに合うワークチェアが欲しい」という、少し気軽なところからスタートした側面もあるのですが、柴田さんとディスカッションを重ねて、出てきたワードを整理しているうちに議論も本質的になり、メンバーの意識がひとつになった気がします。
柴田
プロダクトデザイナーの立場として難しいだろうと思っていたのは、安全性と美しさをどう両立させるのか、ということ。たとえばオフィスにはいろんな体型の人がいますが、全員をきちんと支える安全な設計が必要です。私はデザイン性を追求しながら安全性を担保することができるだろうかと心配していましたが、イトーキさんはいつも「検討します」と言って、次の打ち合わせには回答をもってきてくれました。これまでたくさんのプロジェクトを進めてきましたが、ここまでデザインを尊重する会社はありませんでした。
橋本
チームメンバーは、設計者も含めてほぼ全員がデザインの学校を出ていますからね。機械工学出身は僕だけ(笑)。
田中
なぜそのデザインが必要か、理解できる人が設計したことは大きかったですね。若手も多かったので「初代のセオリーをなぞればいい」「既存技術を使えばいい」という安易な方向には流れなかった。チャレンジしようという気概に満ちていたのも良かったです。
柴田
私は、自分の役割を「助っ人外国人」だと思っていたので、できそうもないこともたくさん提案しました。インハウスデザイナーや外部デザイナーでも、何度も組んだ経験があると、社内の事情がわかりすぎて遠慮が出てしまったかもしれない。ワンチームではあったけど、いい具合に離れていたことがよかったと思います。
田中
本体の塗装の色も今までのセオリーは白か黒ですが、柴田さんから「4色ではどうか」と提案いただきました。
柴田
色は重要なんですよ。作り手は人間工学などをベースにカタチから作り始めるけど、ユーザーは色や全体的な印象から選ぶ。パッと見て「この椅子を使ってみたいな」と思って、試しに座ってみたら座り心地もいいから「欲しい」という順番です。今回、ファブリックはオリジナルで色を起こしていただいたものや、イトーキさんと関係が深い北米最大のテキスタイルサプライヤー「Knoll Textiles」からもラインナップしました。完成品に「かわいい」「きれい」という言葉をいただいたのですが、それは意図していたところです。
橋本
単に色の種類が多いだけでなく、バリエーションとして新しい。工場もvertebraには特別な愛着があるので、「リニューアルするなら妥協したくない」と会社全体で取り組めたことが大きかったです。
リビングにも置きたくなるオフィスチェアを求めて
vertebra03は「『働く』と『暮らす』を越境するワークチェア」と銘打っている。オフィス家具に求められるものが変化するなかで生まれたのが本製品だ。
柴田
元々、オフィスチェアによく見られる「プラスチックならではの自由な造形」が、リラックスしたファッションで仕事をする今の働き方に合っていないと思っていました。人間が本来求めている自然な素材感や形をオフィスに持ち込みたい。一方で、座面のスライド機能や前傾機能など、自然と着座姿勢に導く初代vertebraの構造は踏襲したいと思っていました。
現在、オフィスがリビングのようにカジュアルな雰囲気になっているという一方で、家で仕事をする人も増えました。オフィスとリビング、シームレスに使える椅子のニーズが高まっていると思います。
田中
「働くこと」がオフィスの外にも出ていくなら、オフィス家具メーカーとしては追いかけていきたい。家もカフェも働く場所になるなら、我々がもっとエルゴノミクスの要素を取り入れた心地の良い空間にしていきたいです。
柴田
私の「働く」も変化しています。私は30代、記憶がほとんどないほど働いていたけれど、仕事は熟練すればするほど自分を自由にすると思えるようになりました。若いころに憧れていた今回のようなプロジェクトにも携わることができました。
一生働く時代となり、働くことは生きることの一部となりました。働くモチベーションがずっと続く環境を大切にしたいと思います。
※掲載されている情報は、取材当時のものです
vertebra03 オフィシャルサイト:https://vertebra.jp/
- 柴田 文江(FUMIE SHIBATA)
デザインスタジオエス代表。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後、大手家電メーカーを経てDesign Studio S設立。エレクトロニクス商品から日用雑貨、医療機器、ホテルのトータルディレクションなど、国内外のメーカーとのプロジェクトを進行中。iF 金賞(ドイツ)、Red Dot Design Award、毎日デザイン賞、グッドデザイン金賞、アジアデザイン賞大賞・文化特別賞・金賞などの受賞歴がある。武蔵野美術大学教授、2018-2019 年度グッドデザイン賞審査委員長を務める。著書『あるカタチの内側にある、もうひとつのカタチ』。