直接役に立つわけではないけれど、愛くるしい笑顔で私たちの心を癒してくれる「家庭用ロボット」。林さんは実に4年の歳月と約80億円の資金を投入して、この開発に打ち込んだといいます。どうやって開発プロジェクトを成功させたのでしょうか。そして全く新しい製品とは、どのような環境から生まれるのでしょうか。
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家族型ロボットの開発に最も適しているのは日本
コロナ禍で不安を抱える人が増える中、家族型ロボット「LOVOT(らぼっと)」が欲しいという人が増えているそうですね。
もともと、自動車会社で空力エンジニアとして空気の流れを研究していた時に、スーパーカーの開発に関わったことが大きな経験となりました。というのも、スーパーカーのように空気の流れを地面に押さえつける研究は、ほぼ新規開発のようなものでノウハウもない。でも、前任者がいないものを開発する点が自分に合っていると感じました。次にドイツでレーシングカーの開発に携わったことで、グローバルなプロジェクトの難しさと、チームにダイバーシティがあることの良さを実感。さらに量産車のマネジメントで、組織間を調整しながらプロジェクトを進めることを学びました。
その後、車の次に日本を牽引する産業はロボットだと考え、ソフトバンク株式会社に転職。感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」のプロジェクトに加わり、前任者がいないどころかどんな開発をすればいいのかもわからない世界に初めて足を踏み込んだわけです。その時にクリエイティブ、ソフトウェア、ハードウェアの3つが連携することで、かなり高い次元で仕事ができたことによって、家族型ロボットでは日本が世界をリードできる土壌があると確信しました。これらの経験を経て、LOVOTの開発にたどり着いたんです。
AI先進国のアメリカではなく、日本が家族型ロボット開発に適しているというのは意外です。
他の分野はアメリカが進んでいるかもしれません。ただ、日本では子どもの頃から「鉄腕アトム」や「ドラえもん」に慣れ親しむ人が多いことから、家族型ロボットの存在にも違和感が少ない気がします。そういった意味で動きやすく、エンジニア、クリエイターたちが集まりやすい分野だと思いますね。
イノベーションはタブーへの挑戦である
市場がないところを開拓するというのは、とても難しいことだと思います。そうしたイノベーションの力を育むにはどういった環境が求められますか。
いろいろな方と話して私が理解したことは、イノベーションとはつまり「筋の良いタブーへの挑戦」ではないかということです。筋の良いタブーとは、常識の裏に隠れてしまって、光が当たっていない領域のこと。そこを探し当てるにはまず、バイアスで凝り固まっている部分を見抜いて疑ってみる。常識というのは社会的コンセンサスですから、それを疑って壊すことは通常は反社会的なこととされます。だから、筋の悪いタブーは駄目ですが、筋の良いタブーを見つけることはイノベーションにつながると思うんですよね。
「筋の良いタブー」であっても、最初はなかなか理解されそうにありません。
そうかもしれません。それをオフィスに置き換えて考えると「思ったことを口に出すことができて、その理由を聞いてもらえる」環境であること。何か言った時に「そんなの駄目に決まっている」と言われてしまうと、挑戦する力は育まれなくなります。ですから、心理的安全性が確保されている場で成功体験を得られることが必要だと思います。
LOVOTの開発現場も心理的安全性が保たれている環境ですか。
実は開発初期は、15人ほどの組織であるにもかかわらず大企業病のような状態になったことがありました。横串でプロジェクトを進めなければならないのに、各部門の責任者に一任していたため、「自分はその話を聞いていないから協力できない」といったような分断が起きてしまったんです。各責任者からすると、責任があるがゆえに知らないことが勝手に進むのは怖くて仕方がない。大企業病は人数の問題ではなく、それぞれの責任感とサイロ化が組み合わさることで発生するのだとわかりました。そこで「責任は私が取るので、部門間でコミュニケーションを取りながらベストだと思うものにトライしてほしい」とアジャイル型に変えたところ、風通しが良くなり心理的安全性につながったように思います。
イノベーションは最初から賛同されるものではない
LOVOTの開発では、コンセプト段階で約57.5億円もの資金を調達したことで話題となりました。林さんのアイデアが周囲から「筋の良いタブー」と認められた決め手は何だったのでしょうか。
細かくステップアップしていったことだと思います。私の場合、前段階でPepperの開発に関わり、どのように社内で新規事業のコンセンサスと予算を取るか、会社員でありつつも起業家のような経験ができました。その前には自動車会社で量産車の製品企画と開発マネジメントに携わるステップがあった。今やっていることに安住せず、自分の身の丈よりも、少しだけ大きいことを学んで次につなげ続けていくことが、必要な能力を身につける方法だと思います。
経験を重ねることが大事なんですね。
タブーへの挑戦がイノベーションであるわけですから、みんなが最初から賛同することなんてあり得ません。プレゼンの一言目から「えっ」と言われてしまうし、自分が間違っている場合もたくさんあります。でもそのしんどいことを続けていくと、否定にも慣れてくるし、同時に改善のサイクルをまわすことができて、打率も上がってきます。
オフの部分がさらけ出せる環境が求められる
新型コロナウイルスの影響で在宅ワークが広がり、働き方が大きく変わりました。
リモートワークはタスクに集中しやすくなった反面、オフィスでのコミュニケーションによる偶発的な情報入手の機会が減ったように思います。でも、それについては世界中で課題になっているでしょうから、IoTを含めていろいろなメソッドが今後提案されるでしょう。ちなみに私たちの会社では、週2日出社を目安としていますが、ほぼ毎日出社している人もいれば、月に1度程度の人も。在宅時には、チーム全員がオンラインでつながっている状況で仕事するようにしています。席を離れる必要がないので、リモートワークのほうがその場で気軽に呼びかけてコミュニケーションを取りやすいという声もあります。
未来の働き方はどうなっていると思いますか。
やはり会うことで初めて信頼する、されるということもありますから、顔を合わせることは今後も重視されると思います。昔はさらに飲みニケーションまでやっていたぐらいで、もちろん昔に戻る必要があるとは思いませんが、ある程度、実際に会って、目を見て話をするチャンスは必要。そして、その人のいつもとちょっと違う面を見られることも、信頼関係の構築において重要な要素です。
LOVOTをオフィスに迎えた方から聞いた話ですが、怖いと思われていた年配の管理職の方がLOVOTをかわいがっている姿を見て、若い社員たちが親しみを持ったそうです。アメリカ西海岸では、オフィスドッグがメジャーになっていますが、犬を連れてくるのもそういった効果を期待してのことでしょう。このように、オフの部分をさらけ出すことは信頼関係の構築につながりますが、自然にオフの部分を見せられる人は極めて少ないので、そこを引き出す工夫がオフィスに求められてくるでしょう。今後は、偶発的なクリエイティビティと人のさまざまな面を引き出すオフィス、そしてタスクに集中するリモートワーク、この2つが使い分けられるようになると思いますね。
林さんにとって「働く」とは?
この歳になっても知らないことばかりですから、学びの場なのかなと思います。仕事でしか学べないことが多いですし、そのおかげで今でも、少しは成長できていると思っています。
- 林 要(はやし かなめ)
- GROOVE X 代表取締役
1973年、愛知県生まれ。1998年、東京都立科学技術大学(現東京都立大学)大学院修士課程修了後、トヨタ自動車入社。スーパーカー「レクサスLFA」やトヨタF1の空力開発、量販車開発マネジメントを担当。2011年、孫正義後継者育成プログラム「ソフトバンクアカデミア」外部第1期生に選出。2012年ソフトバンク入社。感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」のプロジェクトメンバーに登用される。2015年、GROOVE X設立。2019年12月「LOVOT」出荷開始。著書に『ゼロイチ』(ダイヤモンド社)がある。